2017年6月の朗読法話「いそぎて信心決定(しんじんけつじょう)して」

浄土真宗の中興の祖といわれる、第八代の宗主・蓮如上人(一四一五〜一四九九)は多くのお手紙をご門徒の皆さまに届けて伝道に努められました。これらのお手紙を編纂しまとめたものを『御文章』(お東では『お文』)と呼び、親しまれています。

例えば「朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨となれる身なり」という白骨の御文章などは今までにお聞きになったことがあるかもしれません。

上人の最晩年、八十四歳の時に書かれたお手紙に

一日も片時(へんじ)もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定(いちじ

ょう)して、そののち人間のありさまにまかせて、世を過ごすべきこと肝要なり

とみなみなこころうべし

とあります。

意味は

一日でも、いやわずか数時間でも良いので、いそいで信心を頂戴して、この度の

往生極楽、つまり、お浄土に生まれて仏さまとならせて頂くことを確かなもの

にしましょう。その縁に遇うたならば、そののちは笑いあり涙ありの人生を、

人間のありさまにまかせて送らせて頂くことが大切だと皆さん心得て下さい。

となります。

浄土真宗では「信心正因」という言葉があるように「信心を得ることが仏として生まれさせて頂く正因」と受け止めています。お念仏を称えて仏にならせて頂くのではなく、先ず、信心を頂くことなのです。

親鸞聖人は「信心は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」(『一念多念証文』)と申され、阿弥陀如来さまが「あなたのことは必ず救うから、心配いらない」と仰る言葉を聞いて、ほんとかなと疑うのではなく、そのまま頂戴することですと仰います。また、他の書物では阿弥陀如来さまの「必ず救う、我にまかせよ」というこの真実の誓いを、ふたごころなく深く信じて疑わないことだと申しています。

ここでいう「救う」とは、病気が治るとか、経済的に恵まれるとか、受験に合格するとかいう私たちの欲望に類するものではなく、人間存在の根底から丸抱えで「どんなことが起きても必ず救うぞ」という救いなのです。

この誓いにすとんと頷くとき、あなたの往く先はお浄土(極楽)と定まると申されます。そして、このすとんと頷く気持ちも実は阿弥陀如来さまからの働き、はからいによるのだと言うのです。少しわかりにくいかもしれませんが、浄土真宗では「信心する」とは言わずに「信心を頂戴する」「信心を賜る」と申す理由がここにあります。

この世の縁の尽きるとき

如来の浄土に生まれては

さとりの智慧を頂いて

あらゆるいのちを救います 『浄土真宗の救いのよろこび』より

なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。

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