9月の朗読法話「安楽死という選択肢」

還暦の記念にと人間ドッグを受け、オプションに付いていた検査で前立腺がんが見つかったのが二〇一一年末。二回の追加検査で微妙に数値が上がったことと若かったこともあり、一二年の夏、お盆が終わってから手術を受けました。それから五年。先月までの健診結果も良好でおかげさまで一つの節目を通過することが出来ました。

テレビドラマ『おしん』や『時間ですよ』、『わたる世間は鬼ばかり』の脚本家として有名な橋田壽賀子さんの近刊本に『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)があります。
はじめに「自分が死ぬなんて長い間考えたこともなかったのに、九十歳になって仕事がだんだん減ってきて、ほかに考えることもなくなったら、『あ、もうすぐ死ぬんだ』と考えるようになりました」と述べられます。
次いで「夫にはとうに先立たれ、子どもはいません。親戚づきあいもしてきませんでした。会いたい友だちや思いを残す相手もいないし、生きていてほしいと望んでくれる人もいません。天涯孤独の身ですから、『もう、いいや』と思っています」と。

安楽死と聞くと過激に受け取られるかもしれませんが、橋田さんは言います。「この人にこれ以上惨めな思いをさせたら、本当に死に切れないに違いない。まだ惨めさの見えないいまのうちに死なせてあげることが、この人の幸せだ。そう思ってくれることが、安楽死だと思います」と。「簡単に言えば私は、〈安〉らかに〈楽〉に死にたいのです」とも。

このように仰る橋田さんですが、十年前から脳の難病を患い、徐々に身体を動かすことが難しくなっているある読者(四十八歳)が「私も安楽死を希望している」と訴えると、「あなたはまだ四十八歳。あまりにも若い。『あなたにもっと生きていて欲しいと望む人』が、周りにいるのではないですか。もしくはあなた自身にとって『このひとのために生きていてあげたいと思う誰か』が周りにいるのでは?だとするなら、たとえ安楽死の法制度があったとしても、あなたは生きるべき人だと思います。(中略)私が安楽死を望む理由のひとつには、生きていることを誰からも望まれないという境遇もあります。無責任かもしれませんが、すでにじゅうぶん生きた私とは、そこが違うと思います」と、誰かれなく安楽死を勧め肯定しているわけでもないと述べられます。そして、「お誕生日を迎えるたびに、一年生きてきた意味と喜びを噛みしめつつ、自分の死と向き合うといいです。自分が生まれた日に自分の死について考えるって、なかなか素敵な習慣じゃないかしら。それがイヤな人は、いままで通り何も考えず、普通に死ねばいいのです」と。

私たちは年齢を重ねると、時に親しい方の出棺のお見送りに立ち会うことが多くなります。列車にたとえるならホームで列車を見送るシーンです。見送った後、「只今見送られた皆さま方、次にこのホームに参ります列車にどうぞお乗りください」とアナウンスされていることに気づきたく思います。
お釈迦さまは「身自らこれに当たる、代わるものある
ことなし」(『仏説無量寿経』より)と説かれています。
なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。

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