10月の朗読法話「かへすがへすうれしく候ふ」

秋を迎えますと浄土真宗の寺院では親鸞聖人のご命日法要として報恩講を勤めます。浄満寺でもこの十八日(水)午後二時からご講師に若林唯人先生(東淀川区、光照寺衆徒)をお招きし勤めさせて頂きますので、是非お参り頂き、親鸞聖人のみ教えにお出遇い下さい。

さて、親鸞聖人が書かれたお手紙が四十三通現存していますが、その中に
明法御房の往生のこと、おどろきまうさずにはあらねども、かへすがヘすうれしく候ふ。鹿島(かしま)、行方(なめかた)、奥郡(おうぐん)、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。
と関東に居られた門弟の明法房が往生したことについて、「うれしく候ふ」「みなの御よ
ろこびにて候ふ」と仰っています。往生されたことが悲しみでなく、なぜうれしいという
のでしょうか。

仏道修行は仏となること、成仏を目標とします。親鸞聖人も比叡山においてただひた
すら、仏となることを目指して修行されました。その間、二十年。しかし、仏となるこ
とは出来ず、当時、東山にてお念仏による万人の救いを説いていた法然聖人のもとを訪
ね、その教えに感化され、その後法然聖人が説かれる阿弥陀如来の救いにお任せする他
力の道を歩まれたのでした。
聖人の他のお手紙には
他力は、本願を信楽して往生必定なるゆゑに、さらに義なしとなり
と書かれています。阿弥陀如来の「必ず救う、我にまかせよ」という喚び声を聞き、そ
の救いにすべてを委ねるとき、往生、つまり、お浄土へ往き、仏として生まれ変わること
が決まっているので、こちら側のはからいは全く要らないというのです。

平成二十二年三月二十五日(木)。夕食を終えてゆっくりしているとき電話が鳴りました。出ると聞き覚えのある坊守さんの声で「住職が今、参られました」と。この時の声は忘れられません。体力が失われ手術に耐えられるかどうか判断に迷う中、ご本人が手術をしてもらおうと決断し臨んだ心臓の手術でしたが、その最中に息を引き取られたのです。長年のお付き合いもあり、坊守さんは病院から連絡して下さったのでした。
「住職が今、参られました」は寂しい言葉ではありますが、日頃からお念仏の生活を喜ばれていたお味わいの中からの確かな往生と受け止めさせて頂きました。享年五十九歳でした。

聖人から直接お念仏のみ教えを聞き続けていた明法房ですから、如来さまからご信心
を賜った人は如来の救い(摂取)のひかりに収め取られまいらせて、間違いなくお浄土に
参り、仏とならせて頂くと受け止めておられたことでしょう。そのこころを汲んで親鸞
聖人は「明法房よ、良かったね。間違いなく如来さまのもとへ参られたのですね。良かっ
た良かった。私もまた続いて参ります。また会えることを喜ばせて
もらいます」と申されたのでした。
なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。

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